鈴木 翔太
より良い教育とは
この記事にアクセスしていただきありがとうございます。
この記事では教育について考えてみたいと思います。
先日、私の教え子達のサッカーの大会がありました。
この大会は、リーグ戦の結果がその後のトーナメント戦に反映されるようになっていました。
この大会のリーグ戦で対戦したとあるチームとは、数週間前にも試合をしていたのですが、その時には大敗してしまっていました。
小学1・2年生の試合なのですが、相手のレベルは高く身体も大きく、本当に1・2年生なのかな?と思うほどでした。
そのチームと今回の大会で対戦したのですが、結果は1-1と良い試合をしていました。
前回の結果に臆することなく、堂々とした良い試合ができました。
練習でやっていたことが一番できていたのではないかと思います。
トーナメントでは選手1名が足を負傷し、人数がギリギリだった私のチームは人数が少ない状態での試合となったこともあり、残念ながら敗退してしまいましたが、得られるものは大きかったと思います。
初戦の前にも、緊張のせいか気分が優れない子供がおり、その子供には内部表現を書き換えることで元気になってもらいましたが、人数がギリギリなことはチームの課題です。
毎回の練習の度に上達していることに驚くのですが、その結果が出始めていると感じられる内容でした。
練習では、自ら目標を設定する子が出てきたり、時間を忘れて夢中でボールを蹴り続けている子、本当にサッカーが上手になりたいと思っていることが伝わってきます。
しかしながら、サッカーが上手になりたいとどれだけ強く思っていても、エフィカシーは一人だけでは中々上がりません。
こういったことからも、全員がお互いにエフィカシーを高め合うチームになっていくことが重要です。
実は今回の大会で、私のチームが試合をしている隣のコートで、子供にかなりきつい言葉を使う指導者の方がいらっしゃいました。
「お前のせいで取られたやんけ!」、「もう帰っていいぞ!」、こういった言葉が隣のコートから聞こえてきたため、内心は自分のチーム以上に気になっていました。
ハームタイム中には、そのチームとは関係のない私の教え子達も萎縮してしまうほどでした。
未だに根強くこういった教育方法が残っていることに懸念を抱きますが、これが現実だと受け止めざるを得ません。
もちろん私のゴールの世界にこのような教育はありませんが、現状は何らかの組織において怒鳴ることが当たり前というのも珍しくないようです。
私の以前所属していた企業でも、上司がトップに怒鳴られていたのを記憶しています。
こういったことがあると、コーチングを最善の方法で普及していきたいとエフィカシーが高まりますが、なぜこの怒鳴るということ、強く叱責するということが起きるのでしょうか。
この裏側には、「強制」させようという心理があると思います。
できないこと、やろうとしないことを強制させるのです。
ではなぜ強制させるかというと、言うことを聞かないとか、何度言ってもできないといった理由が出てくると思います。
これにより益々強制させようとしていきます。
ここが極まってくると叱責に繋がっていきます。
しかしながら、この強制は逆効果であると言わざるを得ません。
人間はやりたくないことを強制されると反発しようとするためです。
無意識が拒みます。
叱責を繰り返せば繰り返す程自滅し、負のスパイラルに陥ります。
相手はもちろん、教育者の内部表現まで書き換わっていきます。
自分は叱責を繰り返す人であると刷り込んでいくのです。
そうなると、教育とは関係のないところでも叱責するように、怒りやすい人になっていきます。
やがて、相手に怒鳴ることが当たり前になっていき、自己流の教育法が出来上がります。
周囲からも厳しい人という見方をされ、より強化されます。
しかし、相手を怒鳴る人も、本当は怒鳴りたいと思っている人は少ないと思います。
叱責されながら教育を受けた人はそれが当たり前ということはありますが、成長させてあげたいという思いが根っこにはあると思います。
であるならば、まずは強制ではなく、興味や関心を持てるよう工夫してあげることが重要です。
一方向的な教育ではなく、双方向性を意識してみると良いと思います。
そして、出来たときは些細なこともしっかりと褒めてあげることです。
「なんでできないんだ!」と怒鳴ってしまうと、怒鳴られた側は「自分はできない」と思ってしまいます。
繰り返せばこれを強化するため、益々できない人になっていきます。
逆に、出来たことをしっかり褒めてあげれば、出来るを強化することに繋がります。
こういった小さなことから取り組むのが良いでしょう。
良い教育について定義することは難しいかもしれませんが、現状よりも良い教育環境というのは、ドリームサポーターがたくさんいることが前提である必要があるかと思います。
相手に対して、できる人間だと確信していることが重要なことの一つです。
最後までお読みいただきありがとうございます。